龍泉寺本堂静岡県浜松市中央区半田山4-18-5 |
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| 熊本地震を契機に建て替えが検討された龍泉寺本堂は、現代の社会と環境に開かれた建築として再構築された。かつて徳川家康が立ち寄ったとされる由緒ある寺であり、単なる再建ではなく、伝統と現代・未来を架橋する試みである。旧本堂は曹洞宗客殿式本堂の形式で、中央に安置されたご本尊とそれを囲む柱列で構成されていた。本計画では、ご本尊を上部に浮かぶように安置することで、座禅や法要、地域の集いが共存する開かれた場として、寺院建築の公共性を再定義している。この無柱の広がりを可能にしているのが、建物の名にも通じる「龍骨」である。樹齢220年を越える天竜杉による主要構造は、力学的合理性を超えて、天と地を架け渡す象徴的な存在として空間を支えており、その構造は、仏と衆生を結ぶ架け橋としての信仰的意味をも帯びているようである。寺院建築において屋根は、単に空間を覆うものではなく、天と地を媒介する思想的架構である。龍泉寺本堂の屋根は、伝統的な権威の象徴としての大屋根を継承しつつも、その造形をより根源的な機能、すなわち光と風を受け止め、自然を内部に呼び込む装置として再定義している。光は時間の推移を映し出し、風は空間を循環させる。そこに生まれるのは、内と外のあわいのような、自然と建築が交感する広がりである。本堂の大屋根は、それらの宗教的象徴を超えて、空間と人を包む存在となっている。光の移ろいや風の流れが空間に時間性を与え、自然の循環が建築の内側で可視化される。龍泉寺本堂は、伝統の形式を超え、環境と共に生きる新たな寺院建築の可能性を示している。 (金子 尚志) |
『あるがままをとらえる 意味を考えてはいけない。』曹洞宗の教えだそうで、伽藍を構成する建築要素の形態や形状をあれこれと詮索するのをやめて、出来上がった空間に無心で向き合うこととした。本堂はとてもシンプルで、新旧の差を考えさせない。昔からそのまま存在していたかのような佇まいで迎えてくれた。参禅道場として多くの信徒さんを集め、よりどころとなって日々の生活に潤いを与えてくれる場となっているのが、境内ですれ違う檀信徒の方たちから感じ取れる。かつて、ご本尊に向かいながら同じ堂にいても、お互いが見えず、寒い暑い空間であった本堂が、視線の通る居心地の良い空間に変容できたのは、ご本尊を高みに据えるという慣習に縛られない発想の転換から生まれた。ご本尊はその高みから、『すべてお見通しだよ』と喜んでいるようにも思われる。 無柱空間をつくる龍骨の棟梁(キールトラス)は、専用階段を通じて、登ることで、ご本尊の正面を高みから拝むことができ、新たな御利益の授かりの場を提供してくれるかもしれない。ほっと憩えることができる龍のお腹は、視点を変えて世の中を眺める悟りのための場所になってくれたら、おもしろい。 光や風を操作して巧みに制御する無双窓やレース障子、妻の組み格子など、伝統的な寺社建築での匠の技は、次の世代へと受け継がれていくよう確かな手業で建物の隅々まで形をつくって、まさに『神(技)は細部に宿る』景色である。 日常生活のすべてを丁寧に行い、『只管打坐』による坐禅の心を保つ修行の過程として、悟りが備わる、そのための器として、龍泉寺が古い殻を脱いで再生されたことで、堂と庭が一体になり、その奥行きのある寺の空間が、輝きを増したようにも感じる。 本堂の建立のために、天龍杉(百年生木)の原木から向き合って、伐採・乾燥・製材・加工・組上げ架構を経て、次の250年に向けた龍泉寺の9年をかけた『事づくり』の歩みは、多くのひとたちに『木の文化』としても語り継がれるはずである。 (山本 和典) |
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